初めて私の手に日本語の聖書を渡した人トニー。忘れもしない一九六三年九月二二日NZオークランド港に着いた貨物船にその若者がやって来た。私を教会に連れて行ってくれた。彼の熱心ははじめ私を辟易させた、がある人が私に告げた。「彼の父は戦争で日本人に殺され、復讐の念に燃え飛行士になると訓練し息まいていたのだよ。」。私は五歳で大阪大空襲の三月猛火の中を生きのびて、「七つボタンの予科練に・・」を歌っていた。日本に無差別攻撃をかけたアメリカとは?を胸に秘めその途上でNZの土を踏んだ。二十三歳だった。滞在二ヶ月してイエスを知った。復讐は神様にまかせることにして、ふたりは仲良くなった▲理由は簡単そのもの。イエスの十字架の死、そして蘇りをただ単に自分のためだと知ったから▲私が半世紀前第二の人生を始めた国で働いている長男夫婦に孫娘が生まれた。世の荒波をかぶって生きる赤子にこれから何人の人たちが手を差し伸べるのだろうか。友情が生まれ、人と人をつなぐもの、それはスポーツ、芸術、文化的な多種多様のものがある。肉親、他人を問わず、許しの秘訣を学ぶ和解のいけにえを知るものに幸は多い。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生

聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。